向田の火祭 2022年度若衆

2022年度若衆

壮年団の歴史

明治三十五年に青年の向上発展のため、向田青年会が結成されました。
大正五年、石川県では内務・文武両省の訓令に基づいて青年団体設備準則を告示、これにより向田青年会は中乃島村青年団に統合されました。この時、官制的な青年団に対し、地域に密着して祭礼行事の役所を受け持つ青年会をそのまま併置存続させ、大正九年に向田壮年団と改称しました。現在は、中学卒業より三十五才までの向田町在住男子をもって構成されています。

組織の変遷

昭和五十年代までは壮年団の下部組織として子供連中が年齢の序列で組を結び、重要な役割を果たしていました。
子供組は4組に分かれ、下記の名称で呼ばれていました。

カマヒバシ(小学四・五年)

明治三十年代まで向田の海浜にあった塩田の塩釜にある火箸(カマヒバシ)。
この組の担ぐ奉燈が細長くカマヒバシに似ていることから、組の名称となりました。

フジキリ(小学六年・中学一年)

この組の作業の一つに藤のツルを伐り集めることがあったことからついた名称。
ロープを使う以前は奉燈の台棒を硬く縛るため藤のツルが用いられました。

マーカイ(中学二年生)

馬飼い(マーカイ)往時、向田には50頭以上の馬がいて馬草を刈りその馬の世話をするのがこの年代の仕事でした。
火祭で最も活躍するのがこのマーカイでした。

ハヤシカタ(中学三年生)

名称の示すとおり、笛や太鼓、鉦を持って囃すところから命名されています。

子供組の役所は二年毎に変わっていき、後輩の指導を行うのが通例でした。また、7基の奉燈もサキドラ、カマヒバシ、シンドラ、フジキリ、ハヤシカタ、マーカイ、アトドラという名称で呼ばれ、子供連中の各組が同じ名称の奉燈をかついでいました。
現在は、壮年団(中学卒業より三十五才までの在住男子をもって構成)が中心となり、子ども・若衆・年寄と分かれて住民全員で準備作業にあたります。